第1話 お店を造る 

プロモーションはゼロ。「街のビール屋さん」になることを証明したかった。

 

東京は高円寺から始まった、地域に根ざしたビールとお店造りへの思い、そして未来への夢を、株式会社 麦酒企画 代表 能村夏丘さんに伺った。インタビューは全4話。隔週金曜日に公開予定。

 

post_images_2

写真:株式会社 麦酒企画 代表 能村夏丘さん

 

—ビール造りを始めた経緯を教えて下さい

 

ビール造りを始める前は、広告の仕事をしていました。でも、自分で何かを始めたいと思ったんです。会社を辞めて、何をやろうかなと考えた時に、人間の根本的なものに近いものがいいなあと思いまして。それは衣食住なんじゃないかと。衣食住の中では食がいいなと。食のなかでも何だろうという時に、自分が一番好きだったビール、というふうに選びました。ビール職人になろうということでビール造りを始めたのですが、当然、作った後、売るわけですよね、商売ですから。であれば工場で造るのがいいのか、どういうやり方がいいのかと考え尽くした結果、1号店となった高円寺のスタイルでスタートさせました。

 

— 1号店はどのようなスタイルだったのでしょうか?

 

今と同じスタイルですが、レストランが醸造所に併設されています。

 

— 2010年に1号店がオープンした当時は、レストランが醸造所に併設されている「ブルーパブ」というスタイルは都内でも珍しかったのではないでしょうか?

 

そうですね。ほぼないですね。

ビールを造ったら、酒屋さんや卸さんにトラックで運ばれて行くのでしょうけど、そうするとビールが劣化するんです。どうしたら、この出来立てで鮮度のいい、美味しいビールを飲んでもらえるのかな、と考えました。大手のビールメーカーさんですら工場見学をやって、そこで飲んでもらっているように、工場まで来てもらってその場で飲んでもらうのが、一番美味しいわけです。

 

— 香りや味の変化を抑えるために熱処理をし、酵母を取り除くための濾過をしてから、ビンや缶に詰める。その技術によってビール工場から離れた地域の方々にも届けられるようになるし、日持ちもするようになりますよね。熱処理や濾過をしない、造りたてならではの新鮮さ、美味しさにこだわるのは?

 

日本の大手メーカーさんがビンや缶に詰める技術は世界でもトップクラスだと思います。その技術をもってしても、流通することで少々劣化してしまうことが分かりました。ましてや個人が、手作業でビン詰めをするとなると劣化のスピードが速い。火入れや濾過もしていませんから、日持ちがしません。とにかく劣化することがすごく嫌だった。例えばレストランでステーキを頼むと、焼きたてがジューって出てくるじゃないですか。それを尻目に、打ち合わせをして、1時間後に食べるって、肉も泣くし、料理をしている人も泣きますよ。

 

ビールの劣化も、僕にとってはそれと同じように映っています。醸造家が心を込めて美味しく造ったけれども、流通の過程で劣化してしまう。要冷蔵なのに、例えば夏の暑い日に、誰かが暑いところに放置したら劣化する。お客さんが気づかずにそれを飲んでしまった時に、美味しいと思って飲んだはずなのに、何かおかしい、ビールって美味しくないねって。それは悲しいですよ。

 

それを考えると、やはりお客さんに醸造所まで来てもらい、劣化のない状態で飲んでいただくということになるんです。そうなると、客席が必要になってくる。それからおつまみや料理も。そうして段々とレストランのスタイルになってくるわけです。

 

post_images_7

写真:造りたての新鮮なビールがサーバーから注がれる。

 

“ホームブリューから学んだことは、DIYの精神”

 

—もともとビール醸造の知識をお持ちだったのですか?

 

いえ、ありません。まずは本を首引きで読んで、色々な醸造所を訪ねまくったりして、あとは一人で学んだりとか、そういうことの組み合わせが最初の段階でした。

 

ビールのホームブリュー(自家醸造)は、アメリカを始め、世界中でメジャーな趣味となっていますので、たくさんの本が出版されています。日本語に訳されたものもあります。

 

ホームブリュー(自家醸造)の考え方は、設備も醸造専用のものというのではなく、台所の鍋とか100円ショップで買ってきたザルとか、そういうものをうまく組み合わせて造ってしまう、ということなんです。つまりDIYです。ホームブリューから一番学んだことは何かというと、醸造の技術だけじゃなくて、DIYの精神です。ホームブリュアー(自家醸造家)の人たちって、無いものはなんでも自分たちで造ってしまって。そもそもホームブリュー(自家醸造)っていう趣味自体がそうじゃないですか。そういう遊びをつくってしまう。趣味を兼ねているし、実用でもあるし。あくまで自分たちのビールな訳で。そういう無いものをつくってしまうっていう発想力や応用力はすごい事だなあと。しかも、あまりお金をかけられませんからね。

 

こうして、1号店の「高円寺麦酒工房」は、半年かけて私と奥さんで作りました。

高田馬場の6号店は、ロフトやウッドデッキなどをスタッフ含め、自分たちで作りました。もともとコンビニだったのですが、壁だったところを、全て折れ戸に付け替えたり、といった部分はプロの力も借りています。この折れ戸は業者さんにお願いしました。

 

post_images_5

写真:入り口も手作り感と開放感で溢れている

 

“描いていた自家製ビールは「プロモーション・ゼロ」”

 

post_images_8

 

写真:ビールサーバーも手作り。手書きの文字はどのビールが入っているかが分かるように。。

 

— 高円寺を最初のお店に選んだのはどうしてですか?

 

高円寺という街は、どちらかというと見た目よりも中身を重視する傾向があるように思います。

以前、海外から来たっていうお店ができたのですが、ものの数ヶ月で撤退して。そのお店に行った人が、オシャレでカッコよくて、美味しいけど、量が少ないと言っていました。あの辺りは、私もずっと住んでいるから分かるんですけど、高円寺の人たちは、見た目とかブランドとかそういう格好良さっていうことだけでは評価しないところがあるんです。500円だったら500円なりで味が美味いのは当然ですが、ちゃんと量があるのかとか。もうすこし本質的なところを見るんですよ。

 

その時、私が描いていた自家製ビールは「プロモーション・ゼロ。ブランディング無し。」ただ単に白いビールとか黒いビール。そういうノリで売ろうとしていました。その代わり、出来立てで、鮮度抜群。この価値を一番理解してくれるのはどこかなと思った時に、真っ先に、「見た目より中身」の価値観をもつ高円寺だと思いました。

 

— 最初からプロモーションはしないと思っていたのはどうしてですか?

 

前の仕事が広告だったからです。それまでの自分の人生へのアンチテーゼという感じで。広告をやればやるほど本質的なことは伝わらないんじゃないか、と思っていた時期があって。広告はイメージで売る。この商品をどんなタレントで売るかで、売れ行きが決まってしまう、という事に疑問をもったのです。そのような売り方を、実際に商品を設計する人や、技術の人たちはどういう思いで見ているのかなと。そう考えた時に、作り手が直接自分の言葉で伝えるのが良いと思いました。作り手というのはたいがい不器用なところがあって、あまり喋らない人が多いですからね。

 

でも、会社の規模が大きくなると、そういう訳にいかないですよね。工場に尋ねていって、「もしもし?」って話を聞くという訳にいきませんから。

 

私のところは規模が小さいですから。高円寺では私がビールを造って、私が注いで、話は全部、私が直接お客さんにできたわけです。下手に宣伝をするよりも、とにかく飲んでもらって、居心地を感じてもらうことで私の思いを伝えたかった。

 

だから、プロモーション・ゼロだったんです。

 

— プロモーション・ゼロでも最初から人は集まってきましたか?

 

そうですね。それなりに来てくださったのは、半年間ずっと「開業ブログ」をやっていたこともあると思います。ずっと寂しくて。孤独じゃないですか。商売うまくいくかも分からないのに、しかも、人がやっていないような事をやるわけですから。常に期待と不安の両方が入り混じった感覚で半年過ごしていました。ブログは、その時の心のよりどころであり、自分自身の備忘録にもなります。それを見た友達や仲間が応援してくれました。今でも高円寺ブログを辿ると当時のことがでてきます。あれで知ったんだよ、って、開店初日に10人くらい来てくださって。お花をいっぱい頂いたりして、すごく嬉しかったです。感動です。

 

高円寺麦酒工房ブログ

 

 

— 最初から収益もバランスがとれていたのでしょうか?

 

むしろ最初の夏は貯金ができました。当初は夫婦で食べていければ十分だし、家賃だけは絶対稼ごう、というつもりでした。そうしたら追い出されないし、細々と続けられるじゃないですか。最悪の場合は、妻がパートに出ることになっていました。最低限、家賃だけ稼いでもらえれば、仮にビール屋の売り上げがゼロでも、追い出されない。幸い食材はいっぱいあるから、売れ残りを食べればいいですからね。ビールも売れずに残っているのを飲めるから。それはそれで幸せだし、まあいいかなという感じでスタートしました。そうしたら、夏の間は、二人分の給料と貯金までできるくらいになりました。

 

 

“「街のビール屋さん」になることを証明したかった。”

 

post_images_1

 

—その当時は次のお店の事は考えていましたか?

 

考えていないです。

 

—次の店舗を立ち上げようと思ったのはいつ頃からですか?

 

その年(2011年)の秋からです。

 

—その時から中央線沿線で行こうということを決めていたのですか?

 

高円寺の両隣り、阿佐谷か中野のどちらかと決めていました。

 

最初の夏を越して、高円寺の1号店には沢山のお客さんが来るようになったのですが、そのお客さんが「高円寺はいいな」っておっしゃるんです。「こういうビール屋さんが、自分の街にもあったらいいのになあ」って。メチャメチャ嬉しかったです。自分の描いていたことが必要とされているのかと思って。それをきっかけに壮大な夢を描くようになりました。

もし、こういうビール屋さんが日本中に存在したら、なんて豊かな未来になるだろうかって。だとしたら、それは誰がやるんだ?と考えた時に、自分だと思ったんです。このまま高円寺だけで、ずっと安定して生きて行くっていう選択肢もあったかもしれない。でも、「街のビール屋さん」が文化と呼ばれるようになるまで達成するのが、私をはじめとして、この会社の社会的使命なんじゃないかって、その時思いました。

 

今でもブルーパブがレストラン程に増えていないのは、やはりハードルがあると思うんです。醸造するということと同時に、レストランを経営するということ。許認可の事などもあるでしょう。確かに私たちは製造業とサービス業と、2つのことをやっている、一人二役です。なかなか簡単にはいきません。

 

前置きが長くなりましたが、将来、「街のビール屋さん」が日本中に存在する、ということは当然、隣りの街にも存在している、ということです。だから本当に隣りの街にも存在できるのかどうか、自分で証明しようと思ったんです。隣り街を選んだ理由はそこです。さもなければ、吉祥寺とか下北沢とか、もっと高円寺に雰囲気が近い町に出る方が、商売的にはやり易かったと思います。でも、それでは物足りないですね。コンビニ程の数はなくてもいいと思いますが、どの街にも一件は「ビール屋」がある、という未来を描きたかった。だったらその手始めに、高円寺と阿佐谷で“共存共栄”できないようだったら、もうこの夢はおしまいだなあと思ったわけです。

 

 

— 2号店の「阿佐谷ビール工房」はその次の年ですか?

 

2012年です。1号店の「高円寺麦酒工房」から1年半後です。

 

— 2号店は当初考えていた通りに行きましたか?

 

紆余曲折でした、うまくいきません(笑)。

 

— どういったところが難しかったのですか?

 

色々あります。私が阿佐谷店をやるということは、高円寺店を人に任せるということです。つまり人に何かを教えるということです。教育の問題が出てくるわけです。目も行き届かなくなるので、組織作り、管理の話も出てきます。

他人とやるということは、必ずしも同じ思いでできない事もあります。足並みが揃わないのは、どの組織にもあることです。それが嫌だったら一生一人でいればいいのですけど。

 

でも、私が描いた夢は、一人では達成できない夢でしたから。これをやるには組織にしなければいけない。ある程度大きな会社にしなければいけない。そこは今コツコツと作っているところです。

 

— 2号店の「阿佐谷ビール工房」では、内装のデザインや醸造しているビールのメニューも変えたのですか?

 

はい。変えています。

 

— その地域のお客さんに合わせて内装やメニューを考えたのですか?

 

それもありますが、この建物から得るインスピレーションもありました。阿佐谷店はもともと洋菓子屋さんだったので、なんとなく内装も洋風の雰囲気を今でも残しています。

 

あとは高円寺ではできなかった設備や方式とか、私自身が挑戦したい事をやりました。ビールの作り方は一つだけじゃないですから。色々なやり方があるんです。一長一短ですが、どのやり方が良いかは、わかりません。「色々なやり方を試す」という意味でも、店舗を増やす時って、いい機会なんです。これもDIYの精神でしょうかね。だから設備づくりも保守的にならず、常に挑戦です。新しいやり方を見つけたら試してみます。

 

post_images_9

 

— こちらの「高田馬場ビール工房」についてですが、なぜ高田馬場を選ばれたのですか?これまでの店舗はすべて中央線沿いでしたが、今回は中央線から外れましたね。

 

「街のビール屋さん」として色々な挑戦がありまして。もちろん、これからも高円寺から始まった、“杉並企業”で行くつもりですが、東京も色々なパターンがあるので、まだまだ模索しているところが大きいです。「高田馬場ビール工房」は中野店よりも、さらに都会のバージョンです。中野より東にも行くし、西荻よりももっと住宅地に行きます。どちらかだけと決めずに、両方行きます。少なくとも、東京中に「街のビール屋さん」という文化をつくりたいと思っていることに変わりはないんです。

 

毎回出店するたびに考えます。中野よりもターミナルの方に行く、というと、すぐに思いつくのは新宿や池袋、渋谷とか。あるいは、より都心の四谷とか。四谷も中央線沿いですが、であれば自分に馴染みがあった高田馬場はどうかと。醸造部長にとってもやはり、高田馬場は馴染みがあって、ここでずっと学生時代を過ごしていたそうです。

 

結構、広く探したんですよ。四谷も探したし、新宿も探しましたけど。高田馬場と決め打ちしていた訳じゃないです。だけど、この物件に出会った時に、すごく腑に落ちたっていうか、イメージが湧いたんです。あ、あそこか。シェーキーズの左側か、あの一方通行に行くところねって。あの場所に「街のビール屋さん」って雰囲気が、高田馬場だったらイメージできるよねって。結構、直感的なところがあります。綿密なマーケティングはしていません。この辺りでよく遊んでいたので、地図で大体わかるんです。あとは、表通りに面している西荻窪店の経験から、誰からも目に留まりやすいところでやった方が、一人でも多くの人に届けたいという、私たちが目指すところに近いと思ったわけです。

 

Interviewed by Mayumi Sakai
Photo by Jin Yamaguchi

 

第2話 ビールを造る “レギュラー商品のレシピは季節に応じて変わる。でもその役割は変わらない。” に続く  9/5 公開

 

 

profile

能村夏丘

株式会社麦酒企画 代表取締役

大学中退後、広告代理店に入社。旅先でクラフトビールと出会い、吉備土手下麦酒醸造所で修行した後、株式会社麦酒企画を起業。2010年に高円寺に1店舗目を出店し、今では阿佐ヶ谷、荻窪、中野、西荻、高田馬場の計6店舗を展開する。「街のビール屋」というコンセプトのもと、街の人に愛され、気軽に立ち寄れる醸造所として運営。店舗の内装や醸造設備もDIYでつくる、クラフト精神溢れるビール醸造家。

麦酒工房 社長のビール日記

 

★★★麦酒企画さんからのお知らせ★★★

 

「街のビール屋さん」をつくる仲間を大募集!!

 

麦酒企画さんでは「街のビール屋さん」を一緒につくるクルー(アルバイトさん)を大募集中です!「街のビール屋さん」を地元の文化にするぞ、という大きな目標に共感して、自分もその一部になりたいと思って下さる方。未経験でも構いません。(年齢不問です。)

 

街のお客さんが喜ぶ…

 

ビールをつくりたい!

料理をつくりたい!

お店をつくりたい!

サービスをつくりたい!

いつか自分も街のビール屋さんになりたい!

 

そんなあなたにオススメです!

 

詳細はコチラ(PDF)↓

「クルー大募集!!」

 

また、お店を一緒に「造る」仲間も募集しています。

棟梁や大工経験のある方、DIYや日曜大工が大好きな方、そしてビール工房の

ビールが好きな方。ぜひ一緒に、新しいお店とその街に根付く

新しいビールの文化をつくっていきませんか?年齢不問です!

 

【応募方法】

「ローカル★トーキョーを見ました」と明記の上、

〒189-0012 東京都東村山市萩山町3-5-1 株式会社麦酒企画 採用係

へ履歴書を郵送。もしくはお近くの店頭スタッフに履歴書をお渡し下さい。

 

お問合せ:042-313-0251 採用担当まで

店舗情報

 

高田馬場ビール工房

〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-29-2 恒栄ビル1F

電話:03-6457-6410

営業時間: 月~金 11:30~23:00 (14:30~17:00はドリンクのみ)

土/祝前日 11:30~23:00

日/祝 11:30~21:00

年中無休(年末年始を除く)

高田馬場ビール工房 ウェブサイト
麦酒工房 ウェブサイト